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考案者が直接語るミミウォッシュ誕生エピソード

目次

●『できないだろう』から『できた』へ

●この耳なんとかならないか!

●わずかな閃き

●耳が!!!!!

●「どうやってやろう?」何もない所からの始まり

●「帰れ!」インチキ扱いされ、追い返される

●家を勘当される

●京都府難聴者協会事務局長の推薦

●300人から見えてきた事

●次第に形になっていくもの

●なかなか決まらなかった商品名

●「話ができるようになりたい!」プレゼンテーション教室

●「このような商品を待っていました」一店舗の壁

●新たな段階へ

●歩み出した営業

●物語はまだ続きます

●未来への思い出

●終わりに

●ホームページに関する案内

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『できないだろう』から『できた』へ

初めまして、耳の洗浄水ミミウォッシュを考案した、前川修寛です。
あなたはミミウォッシュの開発に当たっては私が資金も豊富で、なおかつ人脈もいろいろあったと想像するかもしれませんね。

ところが、そうではありません。

ミミウォッシュの商品化を始めた当時は資金や人脈はおろか、化学やミネラルに関する知識もありませんでした。さらに無職でした。

さらに私は両耳聴力100dB、2級の聴覚障害者です。補聴器をつけていても声だけでのコミュニケーションは大変な事もあります。
そんな状態ですから、製品化できる可能性はゼロでした。 当時は仲間や家族からも「できるはずがない」と言われていました。

当時は、自分でも自信がなく、ふと「あきらめた方がいいのかな」と思うこともしばしばでした。

「なぜミミウォッシュを開発したのでしょうか」「どうやってミミウォッシュを発売するに至ったのでしょうか」とよく聞かれます。そういったこともあり、まとめてみました。

ミミウォッシュがどのようにして誕生したか、一緒に見ていきましょう。

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この耳、なんとかならないか!

補聴器を使っているとその構造上、不快な耳の問題を抱えることがあります。
これは補聴器をつける際に耳に装着する耳型(イヤモールド)が音漏れを防ぐため、ややきつい目に作られるようになっています。このため、耳の空気の通りが悪くなり、蒸れやすくなります。

これが長時間続くと、不快になったり、耳かきを使わずにいられません。
耳かきでかく都度、 一時は落ち着くのですが、補聴器をつけるとまた同じ繰り返しです。

それが何度も繰り返されていくと耳は「カイテキさ」からは程遠い状態になっていきます。
多くの補聴器利用者が困っており、赤ちゃんや幼児はこれが原因で嫌がる場合もあります。大人でもその不快さに補聴器をつけたがらなくなる人もいます。
補聴器店でも「慣れの問題だろう」と言いながらも「何かいい方法はないだろうか」と考えていたと聞きました。

私の場合、高校の頃から15年悩まされており、2004年当時の市販の耳のケア商品で一般でも入手可能なのは2種類だけでした。それらにはアルコールや化学成分が含まれ、満足に使えるものではありませんでした。

当時は自分で「なんとかならないか!」と思い、なにかいい方法がないか探していました。
その一方で、「一生このままなんだろうか?」と不安に思うこともありました。

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わずかな閃き

そんな中、2004年4月28日、起業支援団体ドリームゲートで開催されていた異業種交流会に出ていた時のことです。
ミミウォッシュの原材料となる「中酸性ミネラル水」を知る機会がありました。

その時、「中酸性ミネラル水」をつかった商品の販売について話をしていた人の話がありました。

●化学成分や薬品成分は含まれていない
●ミネラル成分がイオン化している
●皮膚を健やかにしていく

など


話を聞いていて、「もしかして耳の洗浄に使えるのではないか?」と閃きました。
本当にわずかな閃きでした。他の人の話も上の空でずっと考えていました。
懇親会でこの方に直接、耳の洗浄水として使うことを提案して、試作品を提供してもらうことになりました。数日後、送られてきた試作品はラベルもない、市販のポリ容器にはいったそっけないものでした。
ここから始まりました。

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耳が!!!!!

写真はミミウォッシュを使い始めた2004年5月5日に時に撮影した、検証用の写真ですが、不安な顔をしていることがわかるでしょうか?
送られてきた試作品を見て、私は最初はどうやって使ったらいいのか、検討もつきませんでした。初めはどう使えばいいのかわかりませんでした。
私が身体を張るしかありません。実際、フグを最初に食べる人間の心境に近いものでした。
まずはお風呂上がりの寝る前に綿棒に耳の洗浄水を含ませて、耳に塗布するようにしました。私はオソルオソルという感じで始めました。最初は浅い所から、ゆっくりと掃除していきました。

使い始めて3週間たった朝、いつものように補聴器を耳に装着、スイッチを入れた時のことです。 自分の耳に違和感を感じました。いつもあった不快な感触がなかったのです。

もしや?と乾いた綿棒で耳をなでてみました。

そこには耳の汚れが少しだけついていました。
いつも「不快さ」に悩まされた耳が爽快になったのです。
当時は半分諦めていただけに、自分でも信じられませんでした。
何度も確認して、だんだんと実感できました。

私は続けて耳型(イヤモールド)を洗浄してみました。
耳型にはいつも耳の汚れやニオイがべっとりとついていたのです。
イヤモールドにアルコールを使うと変質する場合もあるのですが、なんと変質しません。

2004年5月19日のことでした。

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「どうやって商品にしよう?」何もない所からの始まり

「ミネラルの泉」と名前がついた当時の容器 今見るとあまりいいセンスとはいいにくいが。私と同じように補聴器を使っていて、困っている人のお役に立てるのではないか?と商品化に向けた動きが始まりました。早速「ミネラルの泉」という名前がつけられ、ラベルが貼られた試作品が送られてきました。

手探りの状態でした。人脈も無く、どうやったら、使ってもらえるか、商品化できるのかさえもわかりませんでした。

私の周囲で同じように補聴器を使っている数人の人に説明して、モニターとして使ってもらい、感想を聞くことから始まりました。 使ってもらった人はいずれも私と同じように困っており、私と同じ感想が出ました。

本格的にモニタ調査を開始することになりました。
私の周囲からは「耳の洗浄?洗浄水?そんなものは既にあるはず。」と言われました。
ないことを説明しても信じてもらえませんでした。

この「耳の洗浄水」を本当に商品にできるのか、不安が先立ち、心細い状態でした。
本当に何もない所からの始まりでした。

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「帰れ!」インチキ扱いされ、追い返される

当時使っていたミネラルの説明当時の私はミネラルや化学に関する知識がなかったため、思うように説明できないこともありました。

2004年6月にある難聴者の団体の幹事に試作品の話をした所、「是非きて説明して欲しい」といわれ、モニタ調査のお願いと説明にいきました。説明が終わった後、質問にうまく答えられませんでした。
出席者達からは散々に言われました。

「インチキ商品だろう」 「そんな都合のいいものがあるか」 「帰れ!」

とものすごい剣幕で怒鳴られました。
数日後に同じ団体の他の人にお願いにいったら「マルチ商法だろう?」と言われる始末でした。
当時の私は自信もなく、言い返せず、黙って帰りました。
私が 「同じ難聴者同士だからわかってもらえるだろう」と思いこんでいたのが失敗でした。
私の真意が全く伝わっていなかったのです。
難聴者もいろいろな人がいますが、聞こえないという障害が不安や猜疑心を深くしてしまっている人も多く、本当に難しい事を実感しました。

この事は私にとって、知る事とわかりやすく伝える工夫の大切さを知る教訓となりました。

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「なかなか集まらない・・・」

勘当されて、引っ越ししたばかりの部屋。当時は本当に心細かった。モニタ調査は最初は返送率が悪く、なんとか話を聞いてもらえても「モノはもらうけど回答しない」という人も多く、苦戦していました。
当時は資金的にも厳しい状態で、いろいろとやりくりしながら営業していました。当時は返送用切手を貼って出していました。この通信費用も含めて、いろいろな費用がかかっており、全て自分の持ち出しで負担していました。

当時、100人近くにお願いしても、11人しか返って来ない。そんな事はよくありました。後にマーケティング専門家の方から「アンケート調査で100人で10人も戻ってきたら、むしろスゴイですよ!」と言われましたが、私はそこまで知りませんでした。
当時、一緒に開発していた人達から「見込みがなかったら商品化を辞める」とまで言われており、アンケートが戻ってこなければそうなる可能性もありました。
私のお金がどんどん出て行くばかりの状態で「本当に商品化できるのか?」と心細い状態でした。

もし、商品化を中止した時はサラリーマンにでも戻ろうか・・と曖昧に考えていました。
2004年8月末、私は実家を出ることになり、もはや後戻りできない状態になりました。

当時は「中酸性ミネラル水」についてしっかりした知識がなかった事から、両親にもなかなかわかってもらえず、私がよからぬ商売に手を出していると誤解されたためでした。
一人暮らしを始めたマンションでこれからどうなるか考えていました。

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京都府難聴者協会事務局長の推薦

初期のリーフレット。オレンジ色ではなかった。モニタ調査においては若い難聴者の方は比較的、協力的な人の方が多かったのですが、中年以上の難聴者のアンケートの戻りが悪い状態でした。難聴の方はいろいろな方がいらっしゃるのですが、聞こえないがために猜疑心や警戒心が強い人も多いのです。信頼関係を築く必要があります。

私は1人1人にお願いして回りました。

「アンケートに答えていただけませんか?」
「考えておくわ」

当時は要約筆記や聴覚障害者団体の職員にお願いしても無視される有様で、落胆することもしばしばでした。
私は 何故、回答してもらえないのだろうか?と考えて、少しでも見栄えをよくしようと、リーフレットを自分でデザイン、印刷したり、商品を難聴者という立場で出す事で難聴者の社会的な地位を向上することにつながる事などを説明していました。

そんな中、京都府難聴者協会事務局長(元全日本難聴者・中途失調者団体連合会国際部長)山口武彦氏に試作品を見せて、話をしました。山口氏は若い頃に薬害が原因で聴力を失い、日本の難聴者への福祉でも長年貢献してこられた方です。

山口氏は難聴者の自立を常々考えておられ、「こうした商品は難聴者側から出していくべきものです。」と言われ、推薦文を書いていただきました。 (「京都府難聴者協会事務局長(元全日本難聴者・中途失調者団体連合会国際部長)山口武彦氏 ミミウォッシュを推薦します」)

 山口氏はさらに京都府難聴者協会の理事会などでも働きかけてくださり、ミミウォッシュの使用に関するアンケート調査に協力していただき、京都府難聴者協会の応援商品として認めていただけることになりました。山口氏に推薦文を書いていただけた事は、当時は何も後ろ盾もなかった私にとって山口氏の働きかけは本当にありがたいものでした。

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300人の調査から見えてきたこと

返ってきたアンケート。直筆のメッセージや便せんもある。
 

モニタ調査では私がアンケートをお願いした方に1人1人に返送をお願いしに行ったり、ツテをたよりアンケートをお願いするなどして、泥をザルですくうような作業が続いていました。

合計で約300人にアンケートをお願いしましたが、返ってきたアンケート回答結果を集計した所、「こんなに多いのか!」と驚きました。

補聴器を使っている人は、全員が何らかの形で耳の問題で困っていることが明らかになりました。
私と同じように耳の問題を抱えている人も多く、長時間補聴器をつけていられないため、困っている人も多数の割合を占めることがわかりました。

耳が聞こえる人でも回答者の半分が、「耳の問題」を抱えていることが判明し、自分では気づいていない人も多くいました。

こうした調査は補聴器メーカーや行政でも行われた事はありませんでした。
補聴器販売店でもこうした問題がある事は知っていると話がありましたが、調査を通じて、予想以上に困っている人が多い事を痛感しました。
中には「補聴器販売店のサービスは旧態然としている」「耳鼻科にたらい回しにされた」「聴覚障害者に対する認識がまだ遅れている!」 「もっと実情を知って欲しい!」と苛立ちに近い話もいただきました。

後からわかったのですが、熱意ある補聴器販売店と、そうでない補聴器販売店の落差も大きいことや補聴器販売店とユーザーの立場がすれ違ってしまっていることがわかりました。

また、補聴器を利用していない健常者でも「不快な耳」をはじめとして、「耳の問題」を抱えている人も多いことも判明しました。

こうした意見を元に裏付けをとるために、公開されている公式な統計資料に細かい数値を拾い上げて、可能な限り分析していく作業が続きました。

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次第に形になっていくもの

ミミウォッシュの綿棒非常に好評なミミウォッシュの綿棒ですが、当初は付属する予定はないという事になっていましたが、ある話がきっかけでつく事になりました。

私は営業では飛び込みで営業を行っては丁寧に追い返されるか、インチキ扱いされていました。当時商品開発を行っていた会社が法人ではなく、商品も完成していなかった事もあり、「怪しい」と思われたのでしょう。

中身は第三者による検証データがあるにもかかわらず、補聴器店や補聴器メーカーに持ち込んでも「安全性が…」で断られる有様でした。いつものように営業先で「帰ってください」と断られた日の事です。

「自分ブランド」の提唱者でもある立石剛さんの有限会社ライフソリューションの事務所にふらりとお邪魔させていただきました。

立石さんが何気なく「綿棒がついているといいなあ〜」と言いました。当時は綿棒がなかったのですが、この言葉でひらめき、結果として綿棒をつける事をひらめき、決まりました。

こうした話をもとに改良していき、工夫を重ねていきました。
容器は製品化に至るまで3回ほど変わっています。

ミミウォッシュのパッケージは目立つオレンジ色になっています。
この色に関しては当初は他のスタッフ達は乗り気ではなかったのですが、「あまり使われていない色を!」「見た人がうれしくなる色を!」と私が主張して、結果として正解でした。

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なかなか決まらなかった商品名

ミミラルちゃん
最終段階のミミウォッシュ。右のミミウォッシュは透明ラベルを使っている。

商品化が進むうちに試作品の名称「ミネラルの泉」からして、商品とは思われにくい、伝わりにくいな、と感じ、正式な商品名称とキャラクターを用意することが決まりました。

キャラクターのデザインはすんなりと決まりました。
一方、耳の洗浄水の名前については難航しました。

まだ使われていないものが条件で、商品の特徴についてわかりやすく伝えること、そして響きが良いこと。 一発で覚えられる名前にすること。
ゴロあわせや響きのいい言葉を組み合わせる試行錯誤が続きました。

最初は別の名前「マジカルミミズ」に決まったのですが、名前からしても薬事法にひっかかる可能性があるという話があり、取り止めになりました。パッケージも既にデザインされており、7文字の制限もあり、文字数が変わると大変な問題がありました。そこで、私が提案した「ミミウォッシュ」に決まりました。



溶液の濃度に関しても私がさらに試行錯誤して、「このくらいの濃度で」と決定しました。
容器なども保存に適したものを選択したり、ラベル1つとっても写真のように透明ラベルを使うかどうかといった事も手探りで作業が進められました。何しろ、前例がないのですから。

価格については当初は1,300円以上になる予定でした。これは原液の製造に手間がかるためと聞きました。
私は「もっと下げてください」とお願いしました。

外注する予定だった商品写真やパッケージデザイン、チラシのデザインなどを私が作成することにして、コストの発生を抑えて、950円に収まりました。

当時は出しても売れるかどうかもわからないため、予定していたディスプレイボックスには「費用をかけられない」ということでバラ売りから始める事になりました。後に私がデザインを行ったものが形になり、実現しました。

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「人と話ができるようになろう!」プレゼンテーション教室

営業でインチキ扱いされたり、追い返される中で痛感したのはどうやって話をするかという事でした。
当時の私は人と話をする事が大の苦手でした。

前の仕事でも営業の経験はなく、聴覚障害を持っていることから、劣等感の固まりみたいなものでした。
自分に営業はできないだろうと思っていました。
しかし、商品を出す以上はそうも言っていられません。
商品を考案した当人が実際に話をしなければ伝わらない話も多くあります。
どうしたら、話ができるだろうか?と思っていました。あるところで、紹介していただいた、田中省三さん(元東海大学准教授 現在 トータル・エデュケイションズ代表取締役)の「プレゼンテーションの極意」講座を受講することにしました。
しかし、参加費用が高額で、当時は参加できるだけのお金がありませんでした。
私はその頃、大切にしていた高級カメラを売って参加しました。
参加した後も何度か「復習」ということで参加させていただきました。
このセミナーを受講した事で、自分のプレゼンテーションで何が弱いのか、どうしたら確実に話ができるかを考えるようになっていきました。

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このような商品を待っていました 一店舗の壁

当時の見本写真2004年11月20日、ミミウォッシュの正式な発売日が12月12日と決まりました。一方、営業では相変わらず断られ続けていました。

前例のない商品を営業をするとき、先に扱い店舗が1店あるかないかで、反応がかわってきます。
しかし、 ミミウォッシュはまだ前例がなく、どこの店に行ってもいい顔をされませんでした。私が飛び込んだ所でも50店以上は断られたでしょうか。

私は「このまま決まらなかったら、悲しいなあ」と思っていました。後から知ったのですが、 後になって真相を知りましたが、当時他のメンバーは全く動いておらず、営業開拓で動いていたのは実質的に私1人だけでした。
 

 そんな時、11月の終わりに大阪府吹田市にある補聴器店、吹田補聴器センターの長江さんがインターネットでの私の話に注目して、「話を聞きたい」と連絡が来ました。もう夕暮れでしたが、「すぐに参ります!」と返答して、夜の六時過ぎにお店に到着して、話をさせていただきました。

これまで断られつづけていたので、内心では「またダメかもしれないな」と思っていると、それまでの補聴器店では聞けなかった貴重な話を聞かせていただきました。補聴器店としても、いろいろな耳の問題を見てきており、ミミウォッシュのような商品を待っていたというのです。その場で取引が決まりました。

私は「やった!」と小踊りして、帰りました。

こうして第一号店舗が決まり、2004年12月12日にミミウォッシュは出荷を開始しました。

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新たな段階へ

2004年12月中句に起業支援団体のドリームゲートで行われた、大規模なプレゼンテーションコンテストでの事です。

事前の審査内容からしてもあまりぱっとしないと思われたようで、3分間プレゼンテーション枠に辛くも残りました。
本来ならオマケ程度の扱いです。当時はこの3分の枠で話できるだけの自信がありませんでした。
後に知ったのですが、ドリームゲートの大阪支部スタッフである金築さん達が私の努力を見てくださって、「なんとか残れないものか」と話をしてくださったそうです。ありがたいことです。


これを逆手にとろう!と話をしないプレゼンテーション、映像のみで行い、みなさんから絶賛をいただきました。(左写真は当時の映像の一部)

審査員の評価は11人中8人が「いける!」との高評価でした。

「ミミウォッシュのプレゼン。今まで懇親会でお話を少し聞いてはいたのですが、当日のプレゼンのインパクトたるや、格段の差で説得力迫るものでした。」と来場していた起業支援家の方よりコメントをいただきました。
プレゼンテーション後は交流会会場での話となり、ミミウォッシュを展示していました。

コンテストに出場したメンバーの展示ブースではテレビ局の取材やベンチャーキャピタル(以下VC)から挨拶や名刺交換の声がかかっていました。
私は『取材が来てくれるかな?』と密かに期待していました。しかし、関係者はブースを素通りしていきます。私が会場に出て、関係者たちと積極的に名刺交換をして、積極的に話をしました。

後日オンエアになったTV報道では他の出場者は全員が何らかの形で写っていましたが、ミミウォッシュは写っていませんでした。絵にならないと判断されたのかもしれません。なお、TVカメラマンが欲しがり、もらっていました。

放送された内容を見ると、来場者のインタビューでミミウォッシュの展示ブースがちょっとだけ写っている程度でした。あまりな扱いに私はがっかりしましたが、すぐに考え直しました。

「今回はマスコミに無視されてよかった!」

そう思う事にしました。
2004年12月18日、ミミウォッシュ取り扱い店舗 1店舗、出荷本数50個。 こうして始まりました。
実際、ここまで来る事は普通ではできない事です。多くの方々の応援あってのことです。

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歩み出した営業

年は明けて2005年。営業の方は相変わらず断られ続けていました。
飛び込みで営業した店では「耳かきで十分」「耳がムレる?慣れたら大丈夫」「すでに他の商品が出ていますが売れていません」「まさか!」と言われていました。
しかし、1月中句にあるイベントで知り合いでもある、木村誠さん、成美さんご夫妻にお声をかけていただき、お二人の会社である株式会社ユニティの展示販売で間借りしてミミウォッシュの販売を行いました。お二人の応援のお陰もあって、私が話をするだけで3時間で51個も売れました。自分でも驚きました。

この結果に気をよくした、私たちは東京で行われた展示会に参加することにしました。独立行政法人中小企業支援機構で相談にのってくださっていた、税理士であり、監査役を務めていただいている堀正美先生が声をかけてくださった宮崎県のキトサン食品工業株式会社さんのブースを間借りして、ミミウォッシュを展示しました。
私が15年にわたって困っていた経験から誕生したことを伝えたり、私の下手な手書きのボードを用意したり、1人1人に声をかけて説明していきました。

 通り行く人達に声をかけました。
当初は全員がミミウォッシュを怪訝そうに見て通り過ぎていきました。
今思えば、下手な話しかけだったと思います。 ある方にミミウォッシュの試供品を渡して、怪訝そうに受け取られました。ところが、翌日、ミミウォッシュを使った方が驚いた顔をして来られました。

 その人の奥さんが中耳炎の手術を受けて、長年の間、傷跡がうずいて不快なため、夜はなかなか眠れなかったそうです。前日、私が渡したミミウォッシュを使ったら、すっと眠れたというのです。それで驚いてわざわざ話に来られたのだそうです。

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物語はまだ続きます

経過を少しだけ書きます。

2005年4月、大阪市本町に製造販売会社の事務所設置、東急ハンズでの発売開始。
2005年5月、株式会社ライブドア代表取締役(当時)堀江貴文氏の目にとまり、堀江氏の直接の働きかけでライブドアデパートでの通販が始まる。
2005年9月、ミミウォッシュ、韓国で発売開始。
2005年10月、ミミウォッシュ、ディスプレイボックス作成。
2006年3月 ミミウォッシュ、テレビで紹介される。
2006年5月、取り扱い店舗日本全国で110店舗を越える。

※文中の話は個人の感想であって、商品の効能や効用を示したものではありません。

未来への思い出

こんな様子を想像します。

21世紀の終わりの日本。ちょうど2100年頃。
子供達が親に「ミミオッスして〜」と親に耳掃除をせがみ、親もそれを楽しそう見て、笑いあっている。
このような光景が日本中のあちこちの家庭で見られるようになりました。

耳をそうじしてもらえるという安心感は何ににも代え難い大切な思い出になっていく。
幼い頃に耳掃除をしてもらったという親子は親子同士でギスギスするという事もありません。
そこから、「伝わるようにする」という気配りが自然となるコミュニケーションの社会になっていきます。

また、耳について知ることで、年をとって、聴力が落ちても、安心して補聴器を使える社会を実現する。
そう思いながら、私は「耳の洗浄水ミミウォッシュ」 を育てています。

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終わりに


私の1人称で書いてきましたが、実際は多くの人に助けてもらってきました。いろいろと協力していただいたりと暖かい励ましを受けてここまでこれました。

最初はインチキ扱いしていた人も、私が一生懸命に頑張る様子を見て「本物だ」と認めてくれるようになりました。

 2004年から、独立行政法人中小企業基盤整備機構近畿支部において相談にのっておられた、税理士の堀正美先生(株式会社経営システムアカデミー)が商品化に関していろいろなアドバイス、知恵を出してくださった事は一番大きな事でした。前の会社設立においても力になってくださり、中小企業基盤整備機構において開催された展示会や紹介をいただきました。商品化に動いてくださった人達の力もありました。
 
 また、山口武彦氏をはじめとする、日本における難聴者・聴覚障害者の社会的地位を向上しようと努力してこられた、日本の福祉に関する歴史を担ってきた、先輩方からの激励もありました。私自身、その人たちが若い頃に築いてこられた土台があったからこそ活動できるようなものです。そうした方々の励ましの言葉はありがたく、人とのつながりに感謝せずにいられません。

これをよんでくださったあなたとどこかでお会いした時、うれしい話を聞かせてくださいね。
本当にありがとうございます。

2010年7月23日追記

2008年8月に事情あって前の会社の事情により、提携を解消し、私は役員を辞職して、ミミウォッシュとハナウォッシュの製造販売を中止しました。事情はいろいろとありますが、私が至らず、世間知らずであった事も否めません。
これをお読みのあなたが「ミミウォッシュ」の愛用者でしたら、本当に申し訳ありません。

前の会社との関係を解消して、関係者の方々に挨拶に伺った際、このサイトに書いている内容以外に私が知らなかった支援をしていただいていた話も初めて知りました。私が担当したお店の方々に挨拶とお詫びを申し上げた時、そして注文を下さったお店と話をして、初めて知らされた事がありました。

販売面でのフォローが充分にできていなかったというお叱りもうけましたが、考えている以上に多くの方々に喜ばれていたという事実でした。

本当の喜びの話がどのくらいあったかは、私も知らされていなかったのですが、ここまで喜ばれている事を知りました。現在もホームページを通じて「ミミウォッシュが欲しい」「ハナウォッシュが欲しい」 といった内容や励ましのメールをいただきます。そういった方々の声にお答えすべく、「ミミウォッシュ」「ハナウォッシュ」を真剣に思っています。
うれしいのは私が直接営業で開拓したお店の方やお客様と現在も交流が続いており、今もメールなどをいただくことです。前の会社における経験はとてもキツイ経験でしたが、私にとっては貴重な経験になったと感謝しています。

ミミウォッシュもハナウォッシュもまだ終わったわけではありません。
この2つの商品はこれをお読みのあなた様が求めるなら、必ず帰ってくると確信しています。
応援してくださっている皆様、そしてこれをお読みのあなた様に感謝します。

ありがとうございます。

補足 「ミミウォッシュが復活しました」と称するダイレクトメールが届いているとの話がございます。詳しくは以下に書かれております。

 2010/08/15 「ミミウォッシュが復活しました」と称するダイレクトメールについて(更新)
 

 

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略歴

前川修寛(まえかわのぶひろ)1969年10月生まれ。

耳の洗浄水ミミウォッシュの考案者。両耳の聴力レベル100dB以上の障害者手帳2級の障害者。
1993年より大阪の日本システム技術株式会社でプログラマーとして4年間勤務。1998年から福祉コンサルタント会社にて福祉関係に関わる調査事業及び医療システムの開発を行う。

高校の時から15年間、不快な耳の問題に悩まされていたが、2004年4月に化学成分やアルコールを含まない耳の洗浄水ミミウォッシュを閃き、商品を考案。前例のないモニタ調査によって商品化にこぎ着ける。
2005年6月、製造販売会社設立に伴い、取締役に就任。営業開拓を行い第一号店を開拓。
テレビでも紹介され、日本全国の熱意ある補聴器店などで販売され、補聴器を使っていて、不快な耳に悩む補聴器利用者達から好評を得た。2006年8月、諸般の事情により、当時の製造販売会社の取締役を辞職し、同社との関係を解消、製造販売は終了となった。現在は身体障害者団体の委員などに動く傍ら、身体の健康と食の関係、聴覚障害者がコミュニケーションが困難になる事から陥りやすい精神的構造の問題と「癒し」によるリラクゼーション技法について研究を進めている。

学校法人廣池学園麗澤瑞浪高等学校卒業(麗澤会51期)、京都コンピュータ学院情報科学科卒業。

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さあ!あなたも今日からカイテキな耳そうじ始めましょう!あなたの耳、カイテキですか?耳の洗浄水ミミウォッシュ
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